Stoned Brain Returns

遊びの日常。日記<週記

スポンサーサイト

--.--.--

category : スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

寺田寅彦縁の地を巡る旅 in 高知

2014.02.04

category : TRAVELLING

高知の旅。こちらが本編です。

1日目

バスの中から真っ暗な高知の街を眺めていました。
道路は濡れて光っているし、
反対車線をすれ違う車は全部ワイパーを動かしています。

DSCF0213_convert_20140202204226.jpg

大抵どこかに行くときには、すんでのところで悪天候を回避してきましたが、
今回はどうもそういうわけにはいかないよう。
バスを降りたら止むかもしれないと淡い期待も破れ、
高知駅前には三志士像が雨に濡れ、寒々しげに立っていました。

まず私が行くべき場所は寺田寅彦、3人の妻、両親の眠る墓所。
JRで高知駅から1駅電車に乗っても、降りてから歩くことには変わりないので、
腹ごしらえをしたパン屋から直接徒歩で向かうことに決めていました。
ネットの地図で何となくの方角と距離は確認しておいたものの、
実際雨の中をどれだけ歩かなくてはいけないのか、
山の麓にある寺田さんのお墓に行くのに、細くて急な坂道もあると知っていたので、
やはりこの天気は有難くありません。

雨が降りしきる中、早朝だからなのか、シャッター商店街なのか分からないけれど、
あまり活気があるとは言えない商店街を通り抜け、
地元の人しか歩かないような細い住宅街を歩きました。
車1台しか通れないような道路にも拘わらず、通勤の車が連なり、
結構なスピードで走っています。
あまりにも狭くて危ないときに、車に道を譲ると、
殆どの人が窓越しに手を挙げてありがとうのサインをしてくれたり、
大きくお辞儀をしてくれました。
ちょっと運転は荒っぽいけど、そこはかとない人の温かさが感じられます。

住宅地の中で神社を発見し、お参りして行こうかと思いましたが、
何より先に寺田さんのお墓詣りだと先に進むことにしました。
北へ向かって行くと、寺田さんのお墓の山に着くまでに、
久万川という川と、北環状線を超えることになります。
どこまで歩けばいいのかと、雨で湿った重い靴を引き摺りながら歩いていると、
自分が歩いている場所より、明らかに一段高い場所を、
学生が自転車で走って行く姿が目に入りました。
階段を上ると、目の前に久万川と、それに並行して聳える山が広がっていました。

何度も地図を見たせいかもしれませんが、
地元以外の場所に行くと、自分がどの方角に向かって歩いているか分からないことが多いのに、
ここでは、北へ向かっているのがはっきりと分かります。
しかし福岡市に住んでいる私にとって、南は山、北は海がある方角で、
川は南から北に流れている場合が多いのです。
川と垂直に山がある風景に慣れている私は、北側に山があり、
それと並行して川が流れる風景は、私にとって酷く異質なものに映りました。
しかも山にかかった雲が風で流れて、山が姿を現したり消したりするのは、
恐怖すら覚えるほどでした。

ただ、少し手前に見える低い山が、恐らく寺田さんの墓所なのだろうと思うと、
心細さも少し薄らぐような気がします。
久万川も寺田さんの随筆「鴫つき」に登場した川。
寺田さんも同じ山や川を見ていたのだから、怖いことがあるはずありません。
写真ではよく分かりませんが、久万川沿いから見る西に広がる山の風景が、
水墨画のようでとても綺麗だったのも本当です。
きっと寺田さんだったら、「雨は不便だが、決して悪いことだけではありませんよ」
そんな風に言うはず。

NEC_0319_convert_20140203184634.jpg

久万川を渡り、北環状線沿いを歩くと、目印のJAのスーパーと動物病院があります。
動物病院の横の路地には道標がありました。

DSCF0216_convert_20140203194028.jpg

ネットで見た道順通りに進むと、畑だった場所に家かアパートを建設中。
その脇に再び道標。

DSCF0217_convert_20140203194445.jpg

人が1人やっと通れる程度の舗装された通路を通り、その通路は山へと続いて行きます。
急な坂は雨が降ると滑りそうだし、坂の片側は斜面で足を踏み外したら滑り落ちそう。
傘をさしているのと、気持ちだけのお供え、
寺田さんの好きなコーヒーを持って両手は塞がっているし、
本当に大丈夫なのかと不安を抱えながら山を登って行きます。

DSCF0227_convert_20140203195000.jpg

色々考えると足が止まってしまうので、
脇目もふらずに登って行くと、ふと右手の視界が開けて光が見えました。
見覚えのある複数の墓石が目に入りました、やっと着いた。

DSCF0222_convert_20140203195609.jpg

左から3番目の奥さんの紳さん、2番目の寛子さん、最初の奥さんの夏子さん、
そして寺田さん。

NEC_0320_convert_20140203200011.jpg

手前がお母さんの亀さん、向こう側がお父さんの利正さん。

DSCF0220_convert_20140203200124.jpg

それぞれのお墓にご挨拶をしてきました。
寺田さんにはここまで来るの大変だったよと、恨み言も言ってきました。
せっかく来たんだから、お天気どうにかしてくれなくちゃ。
服も靴も雨で重くて冷たかったのです。

お墓の横にはこんな案内板がありました。

DSCF0226_convert_20140203200847.jpg

そして寺田さんのお墓にお別れをして、元来た道を下るのですが、
やはり登りよりも下る方が怖いわけです。
年配の親族や、寺田さんのファンの方、お墓詣りに来るの大変だろうな・・・。

降りやまない雨の中、寺田寅彦記念館へ。
お墓から歩いて15分程度のところです。

NEC_0321_convert_20140203203816.jpg

時間は9時半を回っていて、玄関も開いているし入れることは入れるのですが、
中に人の気配がありません。
声をかけても誰も出て来ないけど、入場料は無料だしと思い、
勝手に上がらせてもらい、家の中をあちこち見て回りました。
母屋は空襲で焼けてしまったので、修復された物です。
展示物としては、寺田さんが愛用していたカバンや、お手製の絵葉書、
書簡や写真など色々ありました。
ガラスケースに入ったものが多くて、うまく撮影できなかったのが残念です。

NEC_0326_convert_20140203205346.jpg

このオルガンには感動しました。
寺田さんの物ですが、ドイツ留学中に夏目先生に預けていたという歴史があります。

しばらくあちこち見ていると、
記念館の管理をされている女性がいらっしゃいました。
別の部屋にいて、気付かなかったのだそうです。
この女性と気付いたら2時間くらいお話ししていました。
寺田さんに縁のある場所の話や、どんな方がいらっしゃるのかとか、
他愛もないことでしたが、寺田さんのことを気兼ねなく話せて
とても楽しかったです。
中には私と同年代くらいの方で、年に1度か2度は訪れる
新潟の方もいらっしゃるそうです。
福岡から来たのに雨で、お墓参りも大変でした~とぼやくと、
「あんまり雨降らないんですけどねぇ」と言って笑われてしまいました。

このときに「寺田さんのお父さんが、寺田さんの健康を祈願して、
石灯籠を奉納した小津神社がこの近くにありますけど行きましたか?」と訊かれました。
私はその神社の話も名前も知らなかったけれど、
さっき通り道に神社があったあの神社、違うよね・・・?
道順を聞いても、さっき通った神社との位置関係が全く分からないし、
とりあえず教えてもらった通りに行こうと思いましたが、
その前に時間を見ると既に11時半過ぎていて、先にひろめ市場で食事をすることに。
表に出ると雨はすっかり止んでいました。

記念館からひろめ市場までは大した距離はなく、
途中に高知城の敷地内にあり、寺田さんの常設展示室がある県立文学館を通ります。
そしてひろめ市場の前にある、高知県立高知追手前高等学校は
寺田さんが卒業した学校であり、故やなせたかしさんの母校でもあります。
尤も寺田さんが卒業した時にはまだ高知県尋常中学校でしたが。
この学校には時計台があり、楽しみにしていましたが、
南海地震のための耐震工事が行われているために見ることはできませんでした。

そして県立文学館へ。

DSCF0314_convert_20140203211447.jpg

残念ながら文学館は写真撮影不可。
受付で「寺田寅彦の展示は一番奥にあります」と言われて行ってみると、
他の高知の文学者よりも明らかに、寺田さんにスペースを割いてありました。
寺田さんの家系図から、研究に関すること、書簡、絵、
バイオリンやチェロ、蓄音機、愛用の帽子など、
貴重な展示物ばかりでした。
多分ここでも2時間くらいいましたが、その間誰もいませんでした。
淋しい気がしないでもありませんが、独り占めできたような気がして、
それはそれで悪くありません。

県立文学館では物販があったので、書籍や絵葉書を買いました。

NEC_0347_convert_20140203215802.jpg

そしてふと、記念館の傍に寺田さんの文学碑があったことを思い出し、
再び記念館の方へ戻りました。

DSCF0316_convert_20140203213722.jpg

花物語」という随筆の「昼顔」の冒頭です。

DSCF0320_convert_20140203213838.jpg

この川がもう少し先で左に折れて、その辺りに石碑があります。
そしてこの川は、記念館の真ん前を流れている江ノ口川と言うのですが、
これが次の日に行く場所と、関係があります。
尤もそれに気付いたのは、福岡に戻って来て、訪れた場所の地図を作りながらでしたが。

DSCF0319_convert_20140203214025.jpg

そしてここから、記念館で聞いたように小津神社へ向かいました。
この小津神社も入り組んだ場所で、ちょっと分かりにくいのですが、
ふと見覚えのある景色が目に飛び込んできました。
やはりお墓に行く途中に見かけて、お参りして行こうかと思ってやめた神社です。
寺田さんのお父さんが奉納した石灯籠はこれだそうです。

DSCF0321_convert_20140203215358.jpg

正面の三日月のマーク、寺田邸にあった灯篭と対照になっています。
お父さんのこだわりなのでしょうか。

DSCF0303_convert_20140203220310.jpg

この灯篭、ニヤッと笑っているみたいで可愛かったです。

1日目の寺田さん縁の地巡りはこれで終了。
2日目は「続きを読む」からどうぞ。

2日目

1日目とは打って変わって快晴。
冬用のコートでは汗ばむほどの陽気でした。
荷物を駅に預け、今日もまた最初に目指すは寺田さんのお墓です。
昨日は雨であまりゆっくりご挨拶できなかったので、
お別れの挨拶に行こうと決めました。
前日は行こうかどうしようか迷っていたのですが、
行かないと後悔しそうな気がしたのです。
前日とは違う道を通り、久万川の河川敷まで出て行きます。
昨日の水墨画のような景色とはまるで別物の、
鮮やかな風景が広がっていました。

DSCF0328_convert_20140203220228.jpg

ウォーキングをしている人も大勢いました。
自分も高知に住んでいたら、毎日ここで散歩すると思います。
また来てよかったなと思いながら歩いていて閃きました。
あまり雨の降らない高知で、よりによって私が行った日に雨が降ったのは、
寺田さんが雨の久万の風景を私に見せたかったのかもしれません。
1日目に晴れて、2日目に雨だったら、恐らく2日目には行かなかったはず。
逆だったからこそ2日共行ったのです。
きっと寺田さんが私をそうやって呼び寄せたに違いありません。
そう思うと1日目のお墓詣りの時間だけ降った雨も納得がいきました。

「県庁おもてなし課」の主題歌になった関ジャニ∞の「ここにしかない景色」の
「モノクロから少しずつ色づく想い、染まってく景色 君の心に響け」
という歌詞を思い出さずにいられませんでした。
本当にそういう感じです。

DSCF0329_convert_20140203220405.jpg

下から見るとこんな感じです。
昨日も登った道を辿りお墓に着くと、日が差してとてもいい場所です。
今日はこれから永福寺へ行って、桂浜にも行くかもしれません、
その後福岡に帰りますがまたきっと来ますので。
そんな挨拶をしていたら、寺田さんが「またおいで」と言ってくれたような気がしました。
淋しがりの寺田さんは、きっと人が会いに来てくれるのが嬉しいのだと思います。

そしてここまで来たらと、寺田寅彦記念館へ。
寺田邸の庭も、雨でしっとり湿った風景とはまた一味違う表情です。
ここもやっぱり来てよかった、そう思いました。
前日の女性がいらっしゃって、県立文学館に行った話とか、
小津神社にも行ったとか色々お話してたら、
また1時間ほど過ぎてしまっていました。

ここから高知城をチラッと見て、電車に乗り玉水町へ向かいました。
そして井口の永福寺へ。
井口村刃傷事件の舞台となった場所です。

DSCF0357_convert_20140203220542.jpg

入り組んでいて、用水路のような小川のような川が多いところです。
中平忠次郎を切った上士は確か、永福寺の近くの小川で刀を洗ったという話があるけれど、
それがこの永福寺の前の用水路のような川なのか、
もう少し南にある玉水町の遊郭沿いの小川なのか、
さらに南の鏡川なのかがはっきり分かりません。
しかし帰宅して調べてみると、どうやら永福寺のすぐ前を流れていた小川のようです。
しかもこの小川は、寺田邸の前から続く江ノ口川。
寺田邸の前の江ノ口川はまだ川の様相ですが、永福寺前では川と言うより水路でした。
事件当時は本当に小川だったのでしょう。
この寺の前で中平忠次郎が切り殺され、中平と共にいた宇賀喜久馬が呼んだ
中平の兄池田寅之進が弟を切り殺した上士に復讐したために、
宇賀喜久馬も切腹を余儀なくされる。
そして喜久馬の介錯をすることになった、喜久馬の兄の寺田利正の深い心の傷が、
喜久馬の甥であり、寺田利正の息子である寅彦の人格形成に、
影響を与えることになったかもしれません。
でも一人息子の寺田さんを、お父さんは目に入れても痛くないほど可愛がったようだし、
単身赴任の多いお父さん、年の離れた姉たちの中で、
両親があまり仲がよくなかったりして、
淋しい思いはしただろうけど、決して不幸ではなかったと思います。

それよりも寺田さんにとって悲劇だったのは、
若くてきれいな最初の奥さんの夏子さんが早く亡くなり、
尊敬してやまなかった夏目先生も胃潰瘍で早く亡くなり、
自身も同じ病気で臥せったり、
2番目の奥さんも早く亡くなってしまった、そちら方でしょう。
旅行に行くのも、家族を残していくのが心配で行けなかったとか、
とても淋しがり屋だったのは、こういう要素の方が大きいような気がします。

その後市内中心部を離れ桂浜へ。
桂浜と言うと、どうしても坂本龍馬のイメージが強いですが、
私は別に坂本龍馬に大した思い入れはありません。
坂本龍馬記念館のサイトのQ&Aによれば、
龍馬が桂浜に来た可能性はあるけれど、来たという資料はないのだとか。

DSCF0367_convert_20140201202750.jpg

それよりも寺田さんの随筆に時々登場するので、
寺田さんの縁の地として行きました。

涼味数題
夕凪と夕風

「夕凪と夕風」に書かれている
「海抜二百メートルくらいの山脈をへだてて三里もさきの海浜」から聞こえる海鳴は、
恐らくこの辺りの浜辺から聞こえてきたのでしょう。
バスで高知駅から桂浜まで来ましたが、結構な距離があります。
寺田さんが高知に住んでいた頃は、ここから寺田さんの家まで海鳴が聞こえたのでしょうか。
寺田さん、何か勘違いでもしていらっしゃったのではないでしょうか。

さらに子供の頃の寺田さんが、この海で小船に乗って遊びまわり、
浜に上がって冷たい豆腐を食べたと書かれていますが、
今は遊泳禁止だし、波も結構高いけど、
当時は小船に乗ってても平気なほど穏やかな海だったのでしょうか・・・。
あるいはもっと波の穏やかなところがあるとか?
それはともかく、寺田少年がこの浜辺で友人と遊んでいた風景を思い浮かべると、
とても微笑ましく、桂浜という場所にも愛着がわきました。

これで今回の寺田寅彦縁の地を巡る高知の旅は終了です。
寺田さんが高知に住んでいた時期は、実はそれほど長くありません。
しかし寺田さんのその後の研究や視点に大きな影響を与えた故郷高知で、
寺田さんが幼い頃に見た物や聞いた音を、
時代を超えて見たり聞いたりできたのは、とてもいい経験になりました。
再訪はもちろんのこと、今回行けなかった、寺田さんが病気療養していた須崎市にも
いつか行ってみたいと思います。

DSCF0346_convert_20140204170855.jpg

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 
PROFILE

KAORIE

Author:KAORIE
NAME:かおりぃ
GENDER:真ん中より右寄り
AGE:70年代最後の年生まれ
LIVING IN:9州のF県
MIXI
TWITTER:cuore_ok
MAIL:
kan.du.beskydda.mig★gmail.com

PROFILE

CALENDER
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
RECENT ENTRIES
RECENT COMMENTS
MONTHLY ARCHIVES
CATEGORIES
LINKS(in alphabetical order)
WIDGET








Kaorieさんの読書メーター
ACCESS
FRIENDS REQUEST
MY FRIENDS

■ ブログ名:小人閑居

■ ブログ名:Finally

■ ブログ名:zoetrope【reverse】
FC2 BLOG RANKING
SEARCH

Copyright ©Stoned Brain Returns. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。